ノイシュバンシュタイン城の歴史とルートヴィヒ2世の城

19世紀に中世を建てた王と、完成しなかった城。そしてバイエルンに残る4つの世界遺産の宮殿をたどる旅。

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料金・開館時間・ルールはバイエルン州城郭管理局とホーエンシュヴァンガウ・チケットセンターの公式ページで確認しています。最終的には予約ページの表示が優先されます。

ノイシュバンシュタイン城(ノイシュヴァンシュタイン城)は中世の城ではなく、19世紀の王が夢見た中世です。バイエルン王ルートヴィヒ2世は 1869年、少年時代から見慣れていた廃城の跡に礎石を置き、17年後、死の数か月前にまだ未完成の部屋へ移り住みました。今日の見学者が歩くのは一種の舞台装置で、 玉座のない玉座の間、一度も攻められたことのない騎士の城、そして当時としては異例に先進的な設備です。ここではその歴史を、バイエルンで王の城をたどる旅の順路と あわせて紹介します。

King Ludwig II of Bavaria
King Ludwig II of Bavaria

王と作曲家と2つの廃城

ルートヴィヒは1864年、18歳で即位しました。普墺戦争のあと政治的な実権は急速に失われ、残ったのは資金と想像力です。少年時代を過ごした向かいの ホーエンシュヴァンガウ城の壁には白鳥の騎士ローエングリンの伝説が描かれ、15歳で初めてワーグナーの歌劇を観た王は、以後この作曲家の最大の後援者になります。 新しい城の場所に選ばれたのは、ペラート峡谷の上に残る2つの廃城、フォルダーホーエンシュヴァンガウとヒンターホーエンシュヴァンガウ。設計図を描いたのは建築家ではなく 舞台美術家クリスティアン・ヤンクで、建築家のエドゥアルト・リーデルとゲオルク・フォン・ドルマンがそれを石に置き換えました。

建設の年月:1869〜1892年

礎石が置かれたのは1869年9月5日。最初に完成した門の建物から王は工事を眺め、宮殿棟は1880年に上棟、1884年に王はまだ塗料の匂いが残る部屋に入居しました。 現場では常時200人、多いときは300人が働き、バイエルンは誇りと費用への驚きの入り混じった目で見守っていました。王が亡くなった時点で、計画された200室以上のうち 完成していたのは15室ほど。中庭の中央に予定された高さ90 mの主塔、礼拝堂、空中庭園は結局建てられませんでした。工事は1892年に止まり、四角い塔は簡略化した形で 閉じられています。

The Throne Hall in a historic photochrom print
The Throne Hall in a historic photochrom print

内部に込められた夢

2層吹き抜けの玉座の間はビザンティン様式の聖堂で、200万個の石を敷いた床モザイク、6人の聖なる王を描いた金色の後陣、重さ4トンの王冠型シャンデリア。 黄金と象牙の玉座だけが作られませんでした。最上階の歌人の間はヴァルトブルク城の祝祭の間を模し、パルジファルの伝説を描いています。王の生前に演奏会は 一度も開かれず、初めて音楽が響いたのは1933年です。ロマン主義の裏側には技術的に近代的な住宅があります。温風式のセントラルヒーティング、200 m上の泉から引いた 各階の水道、自動水洗トイレ、電話、使用人を呼ぶ電気ベル、厨房では暖炉の熱で回る自動串焼き器。1886年以来、見学者が払う入場料は王の借金返済に充てられ、1899年に完済しました。

ルートヴィヒ2世の最期と城の公開

1886年6月9日、王は統治不能と宣告され、ノイシュヴァンシュタイン城からシュタルンベルク湖畔のベルク城へ移されます。4日後の6月13日、王と主治医は湖の浅瀬で 遺体となって発見されました。死因は今も確定していません。王がこの城で過ごしたのはあわせて172日。城はわずか7週間後の1886年8月1日に一般公開され、 以来、年間約140万人が訪れています。城の建設は税金ではなく王の私費と借金で賄われたため、バイエルン州は今も「国の金で建てた城ではない」と説明しています。

名前、ディズニー、そして世界遺産

ルートヴィヒ自身はこの城を「ノイエ・ブルク・ホーエンシュヴァンガウ」と呼んでいました。「新しい白鳥の石」を意味するノイシュヴァンシュタインという名は 王の死後に付いたものです。第二次世界大戦中はナチスがフランスから略奪した美術品の保管庫となり、1945年に「モニュメンツ・メン」が運び出しました。1955年、 ウォルト・ディズニーはディズニーランドの眠れる森の美女の城のモデルにこの城を選び、世界で最も知られたシルエットになります。2025年7月12日、ユネスコ世界遺産委員会は 「バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群」として、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城、シャッヘンの王の家とともに登録しました。

Neuschwanstein Castle at sunset
Neuschwanstein Castle at sunset

世界遺産4件を旅の順路に

城場所ノイシュヴァンシュタイン城から旅程での位置づけ
ノイシュヴァンシュタイン城シュヴァンガウ—旅の核。ミュンヘン日帰りまたはフュッセン泊
リンダーホーフ城エッタール近郊約45 km、車で1時間同じ日に回れる。ミュンヘン発バスツアーの定番の組み合わせ。オーバーアマガウが隣
ヘレンキームゼー城キーム湖の島約170 kmミュンヘンの東。ザルツブルク方面へ抜ける日に組み込むと効率的
シャッヘンの王の家ガルミッシュ上方の山中徒歩でしか行けない山小屋夏季のみ。ハイキング目的の人向けで、通常の旅程には入らない

ミュンヘンを起点に2日使えるなら、1日目にノイシュヴァンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城、2日目にリンダーホーフ城とオーバーアマガウ、 帰路にヴィース教会。3日あればヘレンキームゼー城を加えて、ルートヴィヒ2世の3つの城を建設順(ノイシュヴァンシュタイン 1869、リンダーホーフ 1874、 ヘレンキームゼー 1878)にたどれます。公共交通で回るなら、リンダーホーフ城はオーバーアマガウからのバスになり、ミュンヘン発ツアーのほうが現実的です。

ルートヴィヒ2世を7つの年で

年出来事
1845年8月25日、ミュンヘンのニンフェンブルク城で誕生
1864年18歳で即位。ワーグナーをミュンヘンに招く
1869年9月5日、ノイシュヴァンシュタイン城の礎石を置く
1878年リンダーホーフ城が完成。王の城で唯一完成した城
1884年ノイシュヴァンシュタイン城の宮殿棟に入居
1886年6月9日に統治不能と宣告、6月13日にシュタルンベルク湖で死去。8月1日、城が一般公開
2025年7月12日、4つの宮殿がユネスコ世界遺産に登録

歴史についてよくある質問

ノイシュバンシュタイン城は誰が建てましたか?

バイエルン王ルートヴィヒ2世が1869年に建設を命じました。外観のデザインは舞台美術家クリスティアン・ヤンク、建築はエドゥアルト・リーデルとゲオルク・フォン・ドルマンです。

城は完成したのですか?

していません。1886年の王の死の時点で完成していたのは15室ほどで、主塔と礼拝堂は着工されず、工事は1892年に打ち切られました。

王はこの城に住んでいましたか?

合計で約172日だけです。主に1884年から1886年にかけて、ほとんど一人で、夜型の生活を送っていました。

なぜディズニーの城と言われるのですか?

1955年、ウォルト・ディズニーがディズニーランドの眠れる森の美女の城のモデルにしたからです。以来、2つのシルエットは結びついて語られています。

世界遺産になったのはいつですか?

2025年7月12日、「バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群」として、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城、シャッヘンの王の家とともに登録されました。

ルートヴィヒ2世はどう亡くなったのですか?

1886年6月13日、シュタルンベルク湖で主治医とともに遺体で見つかりました。溺死か他殺か、死因は今も確定していません。

ルートヴィヒ2世の城を全部回るには何日必要ですか?

ノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホーフ城で2日、ヘレンキームゼー城を加えて3日。シャッヘンの王の家は夏季のハイキングでのみ行けます。

玉座の間と歌人の間を実際に見る

ガイドツアーは玉座の間、歌人の間、王の居室を通ります。出発前に入場時刻を確保してください。

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